location:益子陶器市/photo:COLE
産地
栃木県芳賀郡益子町周辺
目次
特徴
益子焼とは
粗めで砂っぽくゴツゴツとした土の質感をもつ。
材料の性質上割れやすく、重いという欠点もある。
最も基本的な釉薬は漆黒や「柿」と呼ばれる赤茶色、飴色を出す鉄釉。
石材粉や古鉄粉を釉薬にし、犬毛筆で色づけを行う為、重厚な色合いとぼってりとした肌触りに特徴がある。
こうした昔ながらの施釉は土鍋や土瓶、片口といった、肉厚な陶器に使われる。
民芸運動以来、濱田が得意とした杓掛け・流し掛け・掻き落としの技法を使った紋様を施した鉢や皿などが有名となる。
他にも信楽焼流の絵付けを施した山水土瓶や、呉須(コバルト顔料)を使った陶器も多い。
歴史
江戸時代末期、笠間で修行した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まると言われます。
笠間焼や相馬焼の技術を導入して土瓶,土鍋など素朴な器を生産。
安政年間 (54~60) に塩谷郡泉村内に白土が発見され,京焼風の日常雑器も作られました。
1924年に浜田庄司が定住して陶窯を築き,その指導によって品質が向上し,民芸運動の盛上がりとともに民芸陶として有名になります。
以来、優れた陶土を産出すること、大市場東京に近いことから、鉢、水がめ、土瓶など日用の道具の産地として発展をとげます。
現在、窯元は約250、陶器店は50。若手からベテランまでここに窯を構える陶芸家も多く、その作風は多種多様です。
現在では、毎年ゴールデンウイークと11月3日前後に「益子大陶器市」が開催され、500を越える店舗が出て賑わっています。