location:十五代酒井田柿右衛門窯/photo:COLE
産地
佐賀県有田町
特徴
柿右衛門について
素地
有田泉山陶石、天草陶石
技法
濁手(にごしで)・・・佐賀地方の方言で米の研ぎ汁のことを「にごし」という。
濁手は米の研ぎ汁のように温かみのある白色の地肌を持つ色絵磁器で、柿右衛門窯独特のものであり、泉山陶石等を使用した特別な原料とその配合、及び独特の製法により作られております。
一般的な白磁がやや青味を帯びているのに対し、濁手素地は柔らかい乳白色をしており、1650年代頃に、柿右衛門の色絵が一番映える地肌を持つ素地として創り出されました。
その後、この素地は改善を加えられ、いわゆる「柿右衛門様式」が確立される頃には、傷や歪みなどの少ない上質なものが作られるようになります。
この濁手作品のしっとりとした素地と余白を十分に生かした繊細で華やかな色絵との調和のとれた美しさは、その当時国内はもとより国外においても高く評価され、その作品は1659年頃に本格化するオランダ東インド会社(VOC)の輸出により、広く東アジアやヨーロッパ等に紹介されていきます。
しかしこの濁手も貿易の終了と共に江戸時代中期頃一度途絶えてしまいました。それから長い間濁手は作られておりませんでしたが、酒井田家に伝わる江戸時代の古文書を基に、苦労の末十二代、十三代柿右衛門親子により復元されました。1971年にはその製陶技術が認められ国の重要無形文化財の総合指定を受けております。
バリエーション
左:通常の柿右衛門
中央:濁出の柿右衛門
右:有田陶石の柿右衛門
location:十五代酒井田柿右衛門窯/photo:COLE
歴史
柿右衛門窯は江戸時代初頭に始まりました。以来、代々酒井田家当主がその名と共に継承し、現当主の十五代まで連綿と続いています。歴代のなかで最も有名なのは、初代柿右衛門(1596~1666)でしょう。酒井田家に伝わる文書『赤絵初りの覚』には、1647年頃に、初代柿右衛門が苦労の末に赤絵(色絵磁器)の焼成に成功したことが記されています。近年の発掘調査の成果からも、1640年代には有田で色絵磁器の生産が始まったことが明らかとなっています。
経歴
十五代柿右衛門
昭和43年(1968)4月17日
佐賀県有田町に生まれる(現在50歳)
平成3年(1991)
多摩美術大学絵画学科(日本画専攻)を中退
平成6年(1994)
父、十四代酒井田柿右衛門に師事
平成22年(2010)
第45回西部伝統工芸展にて初入選
第57回日本伝統工芸展にて初入選
平成24年(2012)
有田陶芸協会会員となる
平成25年(2013)
第48回西部伝統工芸展に「錦 唐梅文 鉢」を出品、KAB熊本朝日放送賞を受賞
重要無形文化財保持団体「柿右衛門製陶技術保存会」会長に就任
日本工芸会正会員となる
平成26年(2014)
2月4日、十五代酒井田柿右衛門を襲名
佐賀県陶芸協会会員となる
現在日本工芸会西部支部幹事、佐賀県陶芸協会副会長、有田陶芸協会副会長、九州産業大学大学院芸術研究科客員教授、佐賀大学芸術地域デザイン学部客員教授
location:十五代酒井田柿右衛門窯/photo:COLE
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